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【日本の旅】奈良・吉野山で古の宗教観と出会う、私の特別な場所

 

この吉野山という場所を初めて訪れてみようと思ったのは、2012年の秋のことでした。当時の私は、某シドニーの美術大学のMasterコース、修士課程にいました。

学士課程(Bachelor of Fine Art)、優等学位 (Honours)から日本の宗教観と日本の伝統色について調べていて、日本の伝統色は自然の優美さを表現する名称が多いことから、京都と奈良、そして万葉集にも出てくる吉野山を訪れ、修士課程の作品作りの取材というのが吉野山とのご縁の始まりでした。

まあ、実際、この時の撮った写真が5000枚という・・・。そして、そこから作った作品も今までで一番大きな版画、80 x 200cmというものを生み出してくれたのですが・・・。

そんな吉野山をご紹介したいと思います。

 

吉野山の歴史と宗教観

さて、吉野という地名は、神武天皇の御代からも出てくるように古くから由緒ある場所です。そして、桜の名所で有名ですが、修験道の修行をする信仰登山の場所でもあります。吉野山は大峰山から熊野三山へ抜ける山岳霊場で、修行道である大峰奥駈道の北側にあたります。

多分、私がここで調べたことを語るよりも、吉野町公式ホームページを参照していただいた方が良いと思いますので、ここに引用いたします。 

花の吉野は、また豊かな歴史や伝承で彩られています。吉野という地名は、早くも記紀の神武天皇御東征のなかにでてきます。宮滝などでは縄文や弥生時代の土器が発掘されており、また、応神天皇以来、幾度と無く吉野の宮への行幸の記事がでてくることから、吉野は太古の昔から文化が発達し、世に知られた土地だったのでしょう。 古代においては何と言っても、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野に潜行され壬申の乱で兵を挙げられたことは有名です。時代が下ると源義経が兄頼朝の追捕を逃れて、愛妾静や弁慶などを伴って吉野に入りました。しばしの安らぎも束の間、吉野から逃れる際に別れざるを得なかった義経・静の悲恋の物語が残っています。さらに時代が下ると大塔宮護良親王が鎌倉幕府倒幕のために、河内の楠木正成と呼応して吉野を城塞化され、兵を挙げられます。また、建武の新政の夢破れられた後醍醐天皇が、吉野に朝廷を開かれたことは太平記に詳しく記されています。南朝四帝が吉野の地を頼みとされ、京都奪回のためにこの地から全国に号令を発せられたのです。この願いは遂に実現しませんでしたが、忠僧宗信法印をはじめ当時の吉野の人々は、我が身を顧みず終始、南朝のために尽くしたのです。

大和盆地に都が置かれた太古の昔より、吉野は神さぶる地とされていました。なかでも吉野水分峯(よしのみくまりのみね=青根ヶ峰)は、四方に川の源を発することから神奈備山として崇められていました。古代の多くの天皇が吉野に行幸されたのは、この山に祈りを捧げるためだったのではないかとも云われています。このような日本古来の自然崇拝の思想と、外来の仏教・儒教・道教などが融合して出来たのが、日本独自の宗教「修験道」なのです。 修験道は平安時代に入り組織化されたと考えられますが、白鳳時代の人、役行者(役小角)を開祖としています。役行者が、金峯山上(山上ヶ岳)で厳しい修行の後、本尊蔵王権現を感じ取り、その姿をヤマザクラの木で刻みお祀りしたことが始まりとされています。

金峯山上は老人や女子供が参詣するには厳しすぎるために、その山下にあたる吉野山に同様にお祀りしたのが、現在の金峯山寺蔵王堂といわれています。

参照:吉野町公式ホームページ

 

 

女人禁制・女人結界の地域

吉野山を散策して山深く入っていくと「女人禁制』という地域がまだあります。こちらは、聖域への女性の立ち入り禁止区域になっています。ここ大峰山の修験道地域では珍しくないことで、現在では、これについて男尊女卑であるとする意見もありますが、特に修験道では神道的な考え方もあり、女性特有の『血の穢れ』を意味する生理中、もしくは産褥中の女性が、神聖とされる場所には近づかないという意味合いもあります。

また、古来から山には女神がいてその女神の嫉妬を避けるために女人禁制にしたのだという説もあるし、修験道の厳しい修行の妨げになるということもあるといいます。

私も、吉野ではなく、洞川温泉、大峰山の女人結界の場所まで行ったことがありますが、重々しい感じの大きな門で、ここから先は「絶対、ダメだから!」という感じで、どど〜ん!と立っていました。

「ちょっとだけ、片足でも潜ってみる?」という気分にもならないくらいの場所で、なんか、感動すら覚える。

どっかに写真があるはず・・・。

ありましタァ!

大峰山寺の女人禁制

このような感じで『女人禁制』が現在でもしっかりと残っております。現代社会のフェミニズム志向とは拮抗するのですが、これもまた日本古来の信仰の形と思いますので、その辺は私個人としては尊重するべきことかな、という風に思っております。

また、フェミニストのオーストラリア人夫もまたそのように日本古来の宗教観を尊重する形で、

「こういう所が非常に興味深いよね。女性には申し訳ないが、これもまた文化として残して行くのはいいことだと思うよ」と言います。

しかしならが、ネットを見てみると、やはりフェミニズムの影響を受けた女性方の反対意見も多く、まあ、わからなくもないがこれはこれで文化的、宗教的な観点で受け入れる心の広さがあっても良いものではないか、という民俗学をちょっとかじった私としては思います。

 

 

 

 

 

神仏習合が色濃く残る吉野山の宗教観

そしてまた、吉野山を散策してみるとよく見るのがお寺なのか、神社なのかよくわからない寺社仏閣があるです。明治以降になると神仏判然令により神社とお寺の区別がされるようになるのですが、それ以前は神様も仏様も同じ敷地内で人々に崇められていたのです。

ですから、実際に入って見ると、

「あれ???ここは?神社?お寺?」

というような場所もかなりございました。

特に感じたのが、脳天大神と言われる首から上にご利益があるというパワースポットなんですが、本当にここは不思議な場所でした。詳しくは、下のリンクからどうぞ。本当に、素晴らしいというか「これは、ご利益があるだろうなぁ・・・・」と思うような場所で、旅館でも色々と話を聞いて見ると不思議な話も多いとか。。。

 

この辺のお話は、Wikiに書いてありますので参考までに読んでみても良いかと思います。

神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。

神仏習合ーウィキ

まとめ

私は日本に行くと必ず、行きたくなる場所の一つなのですが、未だには桜の時期は体験しておりません。なぜか、あの時期にいけないことが多いのです。ですが、いずれは言ってみたいと思っていますが。。。

しかしながら、本当に面白いというか、多分あまり日本に在住している間は気がつかないことが多かったのでしょうが、この吉野山というところは非常に興味深いのです。

もしも、機会があって行くことがあれば是非、色々と調べてから行った方が吉野の良さがわかると思いますので、参考にしていただければ嬉しいです。

 

 

 

Sakura
2000年からオーストラリア在住。シドニー某大学の修士課程卒業。『海外在住引きこもり主婦』のアーティスト兼ブロガー。専門は銅版画ですが、油絵もやります。海外生活事情や文化などを中心に書いてます。
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