今回もまた、私の大好きな奈良・吉野山でのお話です。
桜の名所として知られる吉野山ですが、実際に歩いてみると、ここは単なる観光地ではありません。山全体に、日本の古い信仰が今も息づく、少し特別な空気を持った場所です。
中でも今回訪れた「脳天大神」は、名前の印象とは裏腹に、吉野山の信仰の深さを静かに伝える場所でした。華やかな参道から少し外れ、山道を下っていくと、不思議なほど空気が変わる瞬間があります。その感覚が忘れられず、私は何度もこの山を訪れています。
脳天大神は、首から上の病や悩みにご利益があるとされる吉野山の信仰地で、約900段の石段を下って参拝することで知られています。観光というよりも、どこか修行に近い感覚を伴う場所です。
神道と仏教が混ざった日本独自の信仰
吉野山といえば金峰山寺の蔵王堂が最も有名ですが、実は山全体に数多くの神社仏閣が点在しています。そしてそれらは、日本にもともと存在していた宗教観を今も色濃く残している場所でもあります。
少し歴史を紐解いてみると、「神道」という言葉は『日本書紀』にも見られ、その後さまざまな形で発展し定着していきました。神道とは、八百万の神々に象徴される自然信仰や民族信仰、そして神話の中に登場する神々への信仰を含むものです。
こうした自然信仰の思想と、外来の仏教・儒教・道教などが融合して生まれたのが、日本独自の宗教「修験道」です。そしてその発祥の地のひとつが、大峰山系に属する吉野山なのです。


そこでよくよく見てみるとですね、この地に祀られている神様や仏様って実はどこか融合されていて、
あり?こちらは??
ん?神社?それともお寺?
そんな感じのところがたくさんあるんですね。
そして、多分その代表的なのがこちらの、
「脳天大神龍王院」ではないかと思います。
脳天大神は神社?それとも寺?首から上のご利益とは
2018年の10月に行った今回の吉野山の旅で初めて訪れたんですね。こちらはまあ、とある本でも書いてあったんですが、前回、前々回とあまり気にもしなくて、ほとんどの吉野山のお寺や神社には行ったのですが、なぜか3回目の来山での参拝になりました。
しかし、これには訳がある・・・・。それは、まあ、このブログでも告白しているんですが、私はバセドウ病を病んで、甲状腺を摘出しています。その理由は、抗体値が下がらず、バセドウ眼症(眼が飛び出てくるバセドウ病の症状)を少しばかり発症していることでした。
そして、切除してもやっぱり目の違和感があり、45度くらいの角度で上を見ると、重い痛みがあり、物が二重に見えたりしていたのです。とりあえず、眼科医に定期的に見てもらったり、いいと言われるものは全て試していました。けれども、少し疲れたり、ストレスが溜まったりするとどうしてもまた重い感じや眼が内側から押されている感じなどがあり、これ以上ひどくならないことを願っていたのです。
そして、偶然にもとある本で吉野山の脳天大神の話を読んで、
「おお、ちょっくら行ってみようかな」
という感じに思ったのです。
なので、私の目もよくなるようのお願いして来よう・・・と。
では、まず、脳天大神の由来から・・・・。
” 脳天大神様は金峯山寺初代管長 故 五條覚澄大僧正が霊威感得されました頭脳の守護神であります。覚澄大僧正はお瀧のある修行の場所を探し求められる中、現在、大神様が鎮座されている谷がその最適の場所であると考えられ、その後、行場の開発に取り組まれることとなりますが、その最中頭を割られた蛇に遭遇され、それを哀れに思われて丁寧に経文を唱えられ葬られました。その後、その蛇が何度も夢枕に立たれお礼を言われます。最期には「頭の守護神として祀られたし」と云う霊言を覚澄大僧正は聞かれます。また、それと同時期に蔵王権現様から「諸法神事妙行得菩薩(しょほうしんじみょうぎょうとくぼだい)」と云う御霊言も授かられます。実際に形として現れてこられたのは頭を割られた蛇でありますが、蔵王堂(ざおうどう)のご本尊蔵王権現様が姿を変えて出現されたのであります。その後、昭和二十六年に現在の場所にお祀りされたのであります。
脳天大神 龍王院 http://notensan.org/index.html
ということで、『首から上、特に頭の守護神』として祀られた蛇神ということになりますね。
そして、こちらは金峰山寺の敷地内にございます。
そう、神社なのか、寺なのか・・・仏もいれば神様もいらっしゃる。これぞ、古の日本の宗教観というべきものであろうかと。あの明治の神仏分離令もここには何の影響もなかったのだと、かなり安心するというか、やっぱり、ここは吉野なのだなぁ、と嬉しくなるのです。
吉野山の修行道|往復900段の階段を下る参拝
脳天大神はですね、金峰山寺の塔頭のひとつで、「吉野の脳天さん」と親しまれているそうで、金峰山寺の本殿の蔵王堂の左手から長〜い階段を降りて行きます。
まず、こんな注意書きが・・・
ポケモン・・・やめてね。
楽しいかもしれないけど。まあ、あと何年かしたらこの注意書きも必要なくなると思うけど、入れ替えが早い日本だし。


上の写真のようにですね、ものすごい階段が見えてきます。
つづら折りになっている階段で、片道で450段。往復900段だそうです。
ツレの友人には、内緒にしてあって、
「あんた、これ、知ってたでしょ?ね?」
と、とっても満足そうなむすっとした声が・・・(笑)。
そのあと、何度も
「マジで〜!?」
という声が何度も聞こえることになるのです・・・(笑)。
いや、ほんと、
「マジですか、これ?」
という感じの階段です。それも、かなりの急勾配。

しかしですね、基本的に吉野山は修験道のお山です。そう、山岳信仰のお山なのですから、こういうことはまあ、「修行」という事ですよ。はい。
そして、ようやく下の方が見てきて・・・。
そこにはたくさんのお地蔵さんや仏像などがあり、ほう、なんか空気が違うと感じる。何とも言えない不思議な感じ。
う〜ん、なんでしょう。とても不思議な世界に来たような。
確かに、この日は雨だったので参拝客は私とツレのみ。
そして、実は龍神や蛇神様系は水と深い関わりがあるのですが、通説で言いますと、参拝の時に雨が降るというのはとても良いとされているのですね。神様に歓迎さえている印だという人もいます。
実は、私が訪れている水に関する神様の場合、全部が雨。京都の貴船神社も3度目の時は雨ではないものの、帰りには土砂降りになったし、その前の2回とも雨です。そして、ここ吉野山にも水分神社という水の神様の神社があるのですが、今回、そこに行った時は快晴で、実は閉まってて入れなかったというオチが。しかし、奥吉野と言われる地域にある丹生川上神社、3社に参拝した時も雨。ほれほれ・・・ね。
そのせいもあるのかどうか、
ここの境内、入っただけでとっても不思議な感じを受けるのです。
脳天大神にある御百度参りの場所
さて、私がびっくりしたのは、御百度参りをする場所があったこと。
まあ、よく「御百度参り」というのは聞きますよね、願掛けをするとか100回お参りして願いを叶えてもらうという神様にお願いする方法の一つ。
それが、ここにはあるのです。
下の写真の右側の参道になっている部分がお百度用に参拝できる場所で、お百度用の数え棒が入っている箱がありました。


いや、これはびっくりしたのです。
要するにですよ、手っ取り早く言えばですよ、
「お百度をやってみるとご利益があるので、こちらでどうぞ」
と言っているようなものなのです。
そして、お堂の中に入ってみると、
ああ、ここは神様がちゃんといらしている場所なんだなぁ。
これは、効くはずだわ、きちんとした人なら。
という感想を持ちました。



なぜ生卵を供えるのか|蛇と脳天大神の関係

うちのツレなんですが、今回、京都と奈良を旅行するということで、彼女のクライアントから御朱印をもらってきてほしいと頼まれたそうで(あれって、やっぱり本人じゃないと意味ないと思うんだけどね)、ここでも御朱印を貰おうと社務所に行くと、なんと、いきなり、
「ほら、ゆで卵を食べて行きなさい」と、二つくれたんです。
そして、お茶も飲めるということでお茶を二人で入れまして、
お塩も置いてあったので、フリフリ。

ちょっと横を見ると、
『脳天さんに生卵をお供えするのはなぜ?』
という張り紙がありまして、要するに脳天大神の守護神である蛇という経緯から、巳(蛇)がまた眷属であるとすることから大好物である生卵をお供えしてきたそうで、信者の方からいつも生卵が届くそうで、それを茹でてご利益があるようにと配っているそうです。
うん、とっても美味しいゆで卵でございました。。。
ちょっと、小腹が空いていましたし、お茶を頂き、とっても満足した感じ。飲み終わった後は、給湯のあるところで、
「ちゃんと洗ってください」との注意書きがあり、はい、ちゃんと洗って返しましたし、帰るときには、「ご馳走様でした」ときちんと社務所にもご挨拶して、またあの階段を上るという修行。
往復900段という、やっぱり只者ではない神様です。
脳天大神を訪れて感じた吉野山の信仰(まとめ)
私は基本的にあまり神社の中の写真とか取らないタイプでして。
ほら、神社とかお寺とかやっぱり、神様のお家として扱う気持ちがあるので、人のウチに来ていきなり、パシャパシャと写真を撮るのはどうかと思うし、なぜか撮る気にあまりならないのです。
2012年の時は修士課程の写真を撮るために来たので、ほとんど紅葉や自然をベースにとっていたので、5000枚という膨大な枚数になってしまったんですが、神社仏閣の写真はあまりないんです。
ですから、こちらの神社の写真も数枚。なのでホームページから拝借したものありますのでご参考にして頂いて、あとはご自分で確かめに行って頂きたいと思います。
とっても、ご利益のある力のある神様だと思います。
湯川屋さんに帰って、夕食の時に女将さんがご挨拶にいらっしゃって、
「今日はどちらに行かれたのですか?」と、今日の首尾を聞かれたので、
脳天大神の話をすると、
「ああ、あの階段大変でしたでしょう!ほほほほほ。あそこはですね、ものすごくご利益があるんですよ。ここに泊まるお客様でも、本当にびっくりするようなことがたくさん、本当にたくさんあるんですよ。ですから、お礼参りに来られる方も多いのですよ」
とのこと。
私たちも、
「そうでしょうねぇ。あそこは、そういうところでしょうねぇ」
と、3人で
うん、うん、うん、と納得して頷いていました。
さて、私が「脳天さん」にお願いしたこと・・・どうなったかと言うと。
はい、ご利益があったようで、随分とよくなりました。
重い痛みもなくなり、二重に見える部分が少なくなり、今ではかなり上目遣いにならなければ二重にはならなくなりました。以前は、鍼に通ったり、自分でも小さいシールになっている鍼をよく効くと言われる眼の周りのツボに貼ったり、あまり眼を使わないようにしたりと、気を使っていたのですが、長時間こうやってブログを書いていても疲れないし、眼の奥の圧迫感も全くなくなりました。
これは、吉野山から帰ってくる電車の中で気がついたのです。
あり?
なんか、目が楽なんだけど・・・
そんな感じで・・・。
ですが、
私が感じたこと。ここの神様、多分、とっても人を選ぶと思います。なんだろう・・・とっても厳しい感じのする神様。まあ、山岳信仰の神様というのは割と厳しい神様が多いように思うのですが、基本的に悪い行いの人には冷たいというか、いくら祈っても心が汚い人は無理という感じがしました。
私がいつも思うのは、こういう山岳信仰の神社や仏閣に行くと私という人間を試されているような気になります。私も人間ですから、お金も欲しいし、有名になりたいと言う欲もある。でも、こう言う場所に来ると、なぜか
「ああ、すいませんでした・・・もっと、素直になります、ごめんなさい」
と言う気持ちになるんですね、なぜか。別になんか悪いことやったわけじゃないんですが、どうもこう、もっといい人になろうと思うわけです。
蔵王堂の権現様もそうですけど、ここの神様も、
「見てるからね、見えるからね」と言われているような・・・・。
「はい、頑張っていい人になります」となぜか言ってしまう(笑)。
でも、それが本来の信仰なのではないかな・・・と思います。
お天道様が見ているよ、
悪いことしたら、バチが当たるよ、
そんな風に人智の及ばないところからの啓示があったりするからこそ、人間は自分を戒めることができるのではないかと思うし、そんな宗教観がある日本はやっぱり、素晴らしいと思うのですよ。
とりあえず、お礼参りをしないといけないのですが、忘れていませんからね。今度は、生卵を持って伺います。本当に、ありがとうございました。
こうやってブログを書くことでなんかまたご利益がありそうな気がするのは、私だけかな・・・・。
あわせて読んでね。
»【日本の信仰】金峰山寺の金剛蔵王大権現様と勝手に縁を結んだお話
