もしも自分の子供がゲイ、同性愛者だったら、どうする?

 

さて、以前にもお伝えしたように、今、オーストラリアでは同性婚についての議論がいろんなところで起こっています。TVでも、ラジオでも、そしていろんなSNSでも。それは、同性婚を合法化するべきか、そうでないかと問う、「国民意識調査」を行なっているからです。私たち夫婦は、昔から同性愛については「個人の問題」であって、「個人の自由」そして、「幸福は誰にでも平等だあるべき」だと思ってきました。ただ、ここにきて反対派の人たちとの議論や論争が絶えないというのも事実。では、この反対派の人たちの理由はというと・・・・。

  1. 「宗教的」:キリスト教、ムスラム教では同性愛や同性婚は認められていません。地獄に落ちると言われています。
  2. 「伝統的」:昔から、結婚は男と女。交際も家族構成も男と女。同性なんて普通じゃない。
  3. 「生理的」:ただ単に、生理的に受け付けない。

今まで、いろんな人たちと同性婚や同性愛について話してきましたが、思い当たるのはこの3つだけ。うちの親も多分、この2と3に当てはまると思います。確かに、「伝統」、トラディションを重んじる年配の人たちは理解に苦しむでしょうし、違和感、または嫌悪感を感じるでしょう。

そして、「宗教的」これが一番、タチが悪いというか・・・・もう、すでに子供の頃から親や教会から一種の洗脳をされていますから、拭い去るには個人の知的意識の高さが要求されます。実は、私たち夫婦もこの「宗教的」な理由から、何人かの友人をなくしているんです。彼らは、「同性婚で私たちの自由が奪われる」なんてことを言っていて、なんのことじゃと。何がお前らの自由なんだと。自由がないのは、まさしくゲイである彼らの方ではないかという議論が白熱しちゃうわけです。

ティーンエイジャーのゲイ認識

ここにきて、今までは傍観者でもよかったのですが、ウチには16歳のティーンエイジャーがいまして、これがいま自分のセクシャリティーを模索中なわけです。私たちが思うよりもずっと、今、オーストラリアのティーンの間ではこのゲイのセクシャリティーが注目されているようです。

確かに、この年代は自分たちのアイデンティティや、セクシャリティーを模索する当然の時期であり、実際、他の親御さんから「うちの娘はゲイらしい」とか「うちの息子は性同一性障害で女になるの」とか、そう言ったことを聞くようになりました。もちろん、その親御さんたちも困惑はしているものの、自分の息子や娘が幸せになるためならばと必死になってサポートをしています。そして、私たちも友人として、また地域のコミュニティのメンバーとして、地域の青少年のサポートをする義務があると思っています。

 

特に、シドニー市内のNewtownは、シドニーきってのゲイのメッカとでもいいましょうか、昔からゲイの人たちが多い地域なんです。それで、ここNewtownの高校、Newtown Performance Arts でもゲイ同士の親御さんや、カミングアウトする生徒も多く、しかも今、「ティーンの間ではゲイが流行っている」とのこと。まあ、これはね、色々試してみて、自分が誰なのか、どういう人間なのかを知るべきだと思いますが、流行っているからゲイになるいうのは、ちょっと無理なわけで・・・。生理的な問題で、私が流行っているから女に走るとか、旦那が男に走るとかいうことではないんです・・・。私は女よりも男が好きというレベルなわけです。そして、嗜好ではなく、彼ら自身、英語でいうと、Who they are. なんです。病気でもないんです、ですから、「そのうちに治る」なんてことはないので、一度、ゲイに目覚めたらもうそれは諦めてください

ここで、私が言いたいのは、私たち家庭ももう「傍観者」ではいられないということなんです。もしかしたら、ウチの長男がゲイであるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。もし、そうだったら、この反対している人たちは私たちの「敵」になるかもしれないわけです。私たちには彼が幸せになってくれないと困るんです、親として。ですから、息子だけじゃなく、その友達もまたサポートしてあげたい。

私の大学からの友人も、23歳にカミングアウトしたんですが、彼は何度か女の子とそういうセクシャルな関係を持ったけど、どうも「楽しくない」。それで、クラブで酔っ払って踊っていた時に近づいてきた男の子とキスしたら、「美味しかった」というわけで、自分がゲイだということに気がついた・・・・こんなこともあります。

彼の家族は、彼が幸せならばということで、当然ながら不問。今現在は、お金を貯めるために彼氏も彼の実家に引っ越して、彼の家族と同居中。けれども、これは本当にラッキーな例で、コンサバティブな「伝統的」を重んじる家庭では、これで絶縁なんてこともあるんです。

もしも自分の子供がゲイだったら

「宗教的」や「伝統的」に受け付けない・・・・そう思ってしまっても仕方がないとは思います。けれども、大切なのは「親」としてどこまでこの「親」としてを貫けるか・・・ではないでしょうか。親として、子供の幸せを願わないわけはないと思います。それは純粋な愛情として、何が何でも幸せになってもらいたいという、気持ちでしょう。それが「親」のエゴで、「いい大学を出て、いいところに就職して」なんていう「形ばかり」ではなく、子供たち本人の意思や幸福、価値観が大切で、親が子供に「どうなってほしい」という願望の押し付けではないはずなんです。

そして、もう一度言いますね、ゲイは「嗜好」でも趣味でもなく、彼ら自身、Who they are.です。病気でもなく、「そのうちに治る」なんてことはないので、一度、ゲイに目覚めたらもうそれはその子供がそういう風に生まれ持ったものなのです。

親に反対されているゲイの友人も何人かいますが、彼らは皆、「罪悪感」を背負っています。「自分らしく」あることに負い目を感じているんです。これは精神学的にも、子供は親の期待に応えたいという心理が常に働いていますから、それに応えようと努力をする、そして、最終的に自分自身を否定してしまうことになってしまう。そこに歪みが生まれて、鬱になったり、自死行為をしたり、自傷行為をしたり、精神のバランスを崩していきます。それで、家族が幸せになるんでしょうか。なんのために子供たちは生まれてきたのでしょう・・・・親を幸せにするため?いや、そうではないはずです。子供たちは自分の幸せのために生まれてきたのですから、100%幸せになる権利があるんです。

だから、私たちはどんなことがあっても、何があっても、息子たちをサポートする義務があり、幸せにしてあげる責任があると思っています。ですから、厳しく躾もしますし、家庭のこともやらせます。いつもいつも、試行錯誤の連続ですが、こうやって、息子たちがいるからこそ、私たち夫婦も人として成長できるんだと、感謝する日々です。
オーストラリアも早く、同性婚が認められて、他の先進国と肩を並べることになるといいなぁ・・・・と願います。