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【自分らしく生きる】自分を大切にするために『友達整理』することも必要

»先日アップした記事に関連していることなんですが、私は人生に何回か、そう、過去にも友達や交友関係を整理してきたことがあります。なんか、こう書くと『おい、なんてビッチなことやってんだ?この女』と思われちゃうかもしれませんが、事実なんです。そして、私としてはこういう無情な作業が人生には何回か必要なんじゃないかと思うわけです。

周りからの影響から人は成長する

人間は日々、成長していると思います。そう、向上心によって昨日よりも今日、私は成長したいと思って生きて来ました。ですから、失敗だってしたくはないけどいっぱいして来ました。そして、その失敗を『二度とするもんか』と思って試行錯誤で生きて来たようなもんです。その中には周りに助けられたことも、或いは周りから迷惑を被ったこともある。でも、それは私の不徳の致すところであって、別に周りのせいじゃないわけではないと思っています。

私が選んでその人たちを受け入れ、友人関係を持って来たわけですから、彼らの影響は私が選んだことな訳です。

ですから、相手にひどいことをされたからと言って、いつまでもその人を恨むことはちょっとしたお門違いじゃないかなぁ、と思う。確かに、ことが起きたすぐ後では、こんな風に冷静になれないことも多々あるけど、時間が経ってみれば、自分がその人を友人として受け入れたわけで、自分にも隙があったり、またそれに気づかなかったと言う事実があるわけです。そして、人間は他人の中に自分を見るから成長するんだと思っているので、マイナスであろうとなんであろうと、そういうコミュニケーションがなければ自分はあり得ないとも思っています。

いい人であろうが、悪い人であろうが、やはり人間は周りの影響から自己を見つけて行くものだと思うんですが・・・・。

10代の時の『友達整理』の選択は『環境の違い』

初めて友達を整理したのは、18歳の時だったと思います。あの当時・・・ええ、まあね、横浜ではよく遊んでいたんです。15歳からディスコ(80年代はそう呼んでいたんだよん)に出入りをし、関内あたりではちょっとしたもんだった。それでも、18歳になると落ち着いて来て、彼氏を取っ替え引っ替えしたり、ディスコのハシゴしたり、なんだかそういうことが面倒臭くなって来たんです。そして、それに伴って、その当時つるんでいた友人の何人かもうざくなって来た。

確かに、楽しく飲んで、踊って、誰彼問わず友達になってみたけど、だんだんと育って来た環境の違いや価値観の違いなんかが鼻について来た。そして、面倒臭くなったので自ら電話に出ることはしなくなったわけです。当時は、携帯なんてないからね、家電話で実家に住んでいたので、ほとんど親が電話に出ていた。それで、

「お母さん、〇〇から電話があったらいないって言っといて」と居留守を使うようにしたわけです。

まあ、うちの母親も娘がちょっと??と思っているような友達と切るようなそぶりが嬉しかったようで、嬉々として

「あいよ、わかった?」って感じで協力してくれたし。

まあ、その後で偶然に街でばったりあったそういうシカトしちゃった友人からは総スカンを喰らいましたけど、まあ、その時にはすでに違う友人関係が出来上がっていたので、特になんとも思わなかった・・・(嫌な女だよねぇ・・・?)

大人になってからの『友達整理』の基本は『価値観』

で、大人になっても何回かこの『友達整理』をやって来た。その基準は、大人になったらいつも『価値観』。まあ、だんだんと人生にとって何が大切かってことがわかって来たので、この人といて楽しいと言うのを優先にするようになってきた。また、自分にとって損得なしでプラスになるのか、ならないのかを決めるようになって来た。

これは、学歴だとか経歴だとか関係なく、一緒にいて楽しいか、楽しくないか、常識があるか、ないのか、そんな感じの基準で決めるようになったと言えばいいのかな・・・。そして、その中にはオーストラリアにきてからもずっとFacebookなどでつながっている人もいるし、自然と消えちゃった人もいる訳で、私がつながっていたくても相手にその意思がない場合もある。

基本的には多分、もう日本人よりもオーストラリア人やその他の国の人の方が多くなってきていると思うんだけど、ほとんどの日本人の友人はもう30年近いおつきあいなんじゃないかと思うし、そんなに数いるわけでもないんです。

まあ、これもまた人の縁ってことなんでしょうが、不思議なもので以心伝心で「あの人は何やってるんだろう」なんて考えていると、SNSを通じて連絡があったりもする。とっても、嬉しい瞬間なんですが。

流されて生きるのは『時間の無駄』

昔は、『人生50年』なんて言ってた時代があったように、私くらいの年代になるともうね、友達が多いとか、少ないとかどうでもよくなってくるんです。また、反対にこの年代になって『友達が少なくて』とか、『親友がいなくて』なんてことを言っている方が、おかしいと思う。以前、「私には親友がいないんです」なんてことを言われたけど、

「自分の欲や都合で相手を動かそうとしているようなでは『本当の友達』なんかできないよ」

と、言ってやりたかったが私も角が取れたし、あんな自分のことしか考えていない女にはこんな御託も進呈したくもなかったから、「かわいそうな女だなぁ」って言ってやっただけ。反対に、どうでもいい友達というか、広く浅くであの女のFacebookには1000人近い友達がいる。それに比べて、私はまあ・・・200人ちょっとかな。それでも親しいと言える友人は、その中からまた限られてくるわけですが。

そう、こういう『広く浅く』っていう人間って結構な数いるし、自分がなぜ親友と呼べる人間が居ないのか、根本的な問題点がわかっていない、つまり、自分という人間についてきちんと向き合ったことがないんじゃないかと思うわけです。また、そう言う人たちって、他人を信用しないんじゃないかなぁ・・・と思うし。ただね、私が思うに100人の知り合いがいるよりも、たった一人でもいいから、私のために泣いてくれる人がいればいいと思うんですよ。薄っぺらい友情なんて、いらないって思う。

今のご時世、本当に何があるかわからないんですよ・・・。事実、地震だとか大雨で西日本ではかなりの数の方が行方不明になったり、亡くなったりしているし。日本の安全神話だって、ずっと前に崩壊している。そして、海外に住んでいるとやっぱり自分のことは自分でやらないといけないから、危機管理も身についているんだと思う。だからこそ、『時間の無駄』をしない人生を生きていこうかなぁ・・・なんて思うようになった。

皆さんも、ちょっと自分の周りを整理してみるといいかもしれませんよ・・・・そうすることで、自分ってものがちょっと見えてくるかもしれません。そして、また自分を大切にすることになるかもしれません。

あなたには、何かあったら駆けつけてあげたくなる友人がいますか?そして、その人のために泣けますか?

まずは、そこからなんだろうなぁ・・・・。

 

 

 

Sakura
2000年からオーストラリア在住。シドニー某大学の修士課程卒業。『海外在住引きこもり主婦』のアーティスト兼ブロガー。専門は銅版画ですが、油絵もやります。海外生活事情や文化などを中心に書いてます。
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