私の長男は今年で高校を卒業します。日本の高校制度と違い、だいたい9月末で学校が終わります。まあ、その後には試験とかが残っているのですが、高校生活というのはここでおしまいです。
以前はオーストラリアでは大学へ行く前に1年間の休学をして世界を旅したりする若者が多かったのですが、最近はなぜかそのまま大学に進学する子が多くなってきたようですが、それでも大学在学中でもバイトをしてお金を貯めて海外旅行に行く子も多くいますから、外の世界を見るというのはスタンダードにはなっていると思います。
ですから、ウチの長男にも「1年間、バイトして旅してから色々と決めたらいいのに」とは言いますが、彼もまた進学してから考えたいようですし、あまり旅には興味がないみたい。まあ、18歳になるとこちらでは名実ともに成人として扱うので、基本的には彼次第な訳ですが。
それでも
可愛い子には旅をさせろ!と言いますし、旅から学ぶことはたくさんあります。できれば一箇所に数週間とか滞在してその国の習慣や人々と触れ合うともっといいと思います。
私もまた21歳の時に英国で語学留学をしましたし、多分、あの経験が今の礎になっていることは確かだとも思っています。
留学だろうが、旅行だろうがなんだろうが、なんでも良いんですけど、私は外の世界を見ることがなぜ大事というのは、万国共通ではないかと思っていますが、特に単一文化的な思想が強い日本人においては、非常に大事なことではないか、と思っていますので、ここでちょっと考えてみたいと思います。
世界の中心は日本じゃないと理解し、視野を広げる
日本の教育は基本的に詰め込み式です。オーストラリアの教育方法と比べると、授業においても教書が中心であるのでどうしても一方通行的な思考回路が出来上がってしまう傾向にあるように思えます。そして、その弊害が日本の教科書が正しい、日本の常識が世界の常識であるかのごとくに思ってしまう、あるいは誤解してしまうことになるのではないかと思うのです。
そして世界地図を見ていただくとよくわかるのですが、日本はちっちゃい島国で、コミュニティーベースの社会構造を文化的な背景として継承している部分も多々あります。
そして日本の人口は少子化と言っても世界的に比べるとやはり密度は高いので、日本にいると日本が世界の全てのような気になってしまう傾向にあると私は思います。
また、情報社会でネットも発達した昨今では、直ぐに欲しい情報だって得られるし、旅行に行かなくてもその国状況が直ぐにわかってしまう。でも、そこを飛び出して様々な国を自由旅行、ツアーではなく自分で計画を立てた個人旅行をしてみると意外なことに気づくと思います。
あれ、日本人ってこんなに少ないの?
という現実に出会います。そう、世界的にみると日本人の人口というのは非常に少ないのです。そこでその現実を若い時に知ると、頭でっかちで高慢ちきな人格形成を防ぐことにも役立ちますし、視野が広がります。
社会的責任がないうちに自由を満喫できる

これはも皆さんもお分かりのように、若いうちは社会的なしがらみも当然ながら、家庭なんかもないですから30代や40代の方々からしたらもう、自由満載の時期です。なので、もう好きなように生きていけばいいと私は思います。
仕事を始めても仕事を辞めて長期の海外旅行に行けることもいけますが、日本であったならば、かなりの精神的にプレッシャーが内外からかかるのではないかと思いますし、なかなか難しいでしょう。
オーストラリアの現状で言わせてもらえば、これは当てはまらず、数年間、きちんと正社員で働いて退職してから1年間好きなところに行くという人は、ザラにいます。本当にどこにでもいますし、それについて次の就職先でマイナスになるということは全くありませんし、反対に面接で「え?どこに行ったの?あああ、僕もあそこに行ったよ!ヘェ〜〜」なんて、会話が弾んでしまうこともあるかもしれません。
欧米と日本を比べると思想観念や常識なども非常に違う部分があるので、現実的ではないのでここでは置いておくとして。
日本ではやはり、出来ればしがらみがない学生の時や就職まえに旅行をして自分の自由を満喫するべきではないかと思います。
日本の社会システムではどうしてもキャリアや履歴書の問題、長期休暇なんてもってのほかですし、家庭を持ってしまったら本当に無理でしょう。まあ、やっている人もいるので100%無理とはいかないまでも、ある程度限られた職業や環境の人達と言わざる得ないと思います。
ですが、仕事を始めてしまった後だって全然オッケーですよ。当然ながらその気があればいつだって私はオッケーだと思います!
日本以外の諸外国では当たり前にみんなやってますからね。ただ、家庭があるとどこの国であろうと経済的な心配をするのが当然なので、難しくなるのは万国共通です。
経験が少ないからこそ、怖いもの知らずでどこにでもいける
よく若いうちは好奇心が旺盛だから、どんなことでも試して見たくなるといいますが、それはちょっとどうかなぁ・・・とは思います。というのは、まあ日本人ではないですが、私のオーストラリア友人の中にも年齢関係なく、今だに好奇心が旺盛の人が多くいるからです。
確かに、アーティスト関係の人間だから特殊なのかもしれませんし、独身であるからなのかもしれません・・・ので、ここはまあ、若い人限定で行きますね。
若い時は経験が少ないので危機管理においてもちょっと甘いというか、怖い経験をしていないので実際にどこにでも首を突っ込んでいく人も多いのは確かだと思います。人間は経験から色々と学んでいくので、その経験値が低いというのは旅のアドベンチャー部門にとってはかなりのアドバンテージになることは確かでしょう。
ですから、例えばひと気のないところを夜中に歩かない、貴重品はきちんと別に隠しておく、変な人について行かない、など基本的な旅のルールさえ守っていればかなり充実したアドベチャーも楽しめるのも若いうち。
私もAU旦那とタイの北部にあるチェンマイで3日間のトレッキングに行った時は非常に楽しかったし、まあ、若かったのでかなり無茶な行程でもエンジョイできたというのは事実なので、やっぱり、若い時にしかできない旅の仕方というのはあります。
若い時にしかできない旅の仕方、楽しんでおく方が得です!
国際感覚を養っておくと将来の選択肢の幅が広がる

世界には様々な国があり、様々な文化を持ち様々な人が暮らしています。
そんなこと小学生だって知ってるよ!テレビで見るもん!
という人もいるでしょうが、一方的な解説を付けられて一方的に受信するのと、自分から動いて見に行ってみるのでは全く違います。
これを『百聞は一見にしかず』と言います。
そして、同じ国でも人によって様々ですから、その国のステレオタイプの人間もいるでしょうし、そう出ない人もいる。出来れば、ある程度の時間を滞在してたくさんの地元の人と交流を持つことも合わせてお勧めします。
そこであの人はああいう生活をしていた。
ああ、あの人もまたあの国であんな風に仕事をしていた。
などなど、その国によって全然違った人生設計をすることができるわけで、それをきちんと見て、聞いて、自分の目で確かめることが本当の意味での『多様性』を理解し、様々な国の様々な人生を見ることで自分の将来の選択肢だって広がって考えられるようになるのではないでしょうか。
語学とコミュニケーションの大切さを実感して世界中に友達を作る
海外旅行に行くとなるとやっぱり心配になるのはその国の言葉ではないでしょうか。そして、出来れば英語ぐらいはちょっと出来た方がいいと思いますね。しかし、それだって実際に行って見て、
「うわ〜、まじか!全然、通じない!どうしよう」
と、思えば自然と語学の大切さがよくわかるというもの。
それに英語だけじゃダメな国とかもありますから、そうなるともう身振り手振りで話すってこともあるでしょう。
相手も親切に根気強く聞いてくれる場合もあるし、反対にアジア人が好きじゃない人種差別者もいて、顔の前で手を振って「シッシッ」と追いやられるようなこともあるかもしれません(私はあったよ!)。
ですが、これだって日本にいたら絶対に経験できないことですからね、もう、ありがたく経験させてもらって、どれだけコミュニケーションが大切で語学というものがいかに便利なものかを身を以て実感するのは非常に良いことだと思います。
そしてその延長には、世界中に友達ができることになる。
私がイギリス留学中には英語圏以外の友達がたくさん出来ました。ヨーロッパはもちろん、南米の友人が多かったですが、あの当時は当然ながらEmailなんかもなかったし、SNSだってなかったので手紙のみ。お互い引っ越したり、筆不精なために今では誰一人として連絡を取れる人はいません。
ですが、現代では様々な連絡方法があるので、そうやって世界にいろんな友達を作るといろんな可能性だって芽生えるのではないでしょうか?
まとめ
オーストラリアの若者にも言えるし、これは万国共通のことではあるのですが、やはり強く、海外に出て行け!と薦めます。
それは日本という国がいかに主体性に乏しく、自分の価値観を持つのに苦労する国かということを認識していただきたいのです。日本も昔はそんな国ではなく、もっと様々なことに鷹揚で、ある意味、自由な部分があったのです。
特にTVなどを見ているとお笑いであっても何故か保守的なことしか言わず、大御所などが昔のノリで何かを言えばバッシングされたり炎上したり。なぜか一般論として捉えることができず、個人的な感情をむき出しにして自分の都合ばかりを並べて行く。
実際、そんなことを海外でやったらばただのイタイ人間に扱われるのです。が、それはやはり海外に出てみないとわからないし、そういった感覚は想像だけでは養うことはできません。
自分の自己を認識し、自分の価値観を確立するには、自分とは全く違う価値観の中で見つけることが一番だと私は思うのです。誰かが言っていた価値観ではなく、自分が感じた価値観だからこそ、そこに自己に対する尊厳が生まれるのだと思います。
だからこそ、いろんな人を見て、いろんな人と出会って、びっくりしたり、大笑いしたり、悔しかったり、後悔したり、そういう体験や経験から自分にしかない大切なものを見つけて欲しいと私は思います。そして、私の息子たちにもそうあって欲しいと思っています。
多様性という本当の意味は、実際に多様性を基本としている社会に触れてみないと理解できないとさえ私は思っています。
多様性にあふれた世界を旅することで、これからの人生を多様に生きていって欲しい、それがいつの時代の若者に必要なものではないでしょうかね・・・。
私もこれから、もっと旅をするぞ!!おし!